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500年前に思いを馳せてロマンに浸る



フィリピン/バギオの語学学校「A&J e-Edu DC Academy」の日本人マネージャーであるアキさんからのメルマガを抜粋して、以下にご紹介させていただきます。

実は今年はマゼラン一行がフィリピンにやってきてちょうど500年なんです。
少し前にもニュースレターで、記念コインが発売されたとかで少しだけ触れたと思います。
今回はそこから付随するロマンのある話を少々。

突然ですが、ここで問題です。
人類史上初めて、世界一周をした人は誰でしょうか?

ここで「マゼラン」と思った人は、残念。
マゼラン本人は、フィリピンのセブ、1521年マクタン島の戦いで命を落としており、残念ながら世界一周は果たしておりません。
なので、世界史の教科書などでは「マゼラン『一行』の世界一周」と書かれますね。

次に「マゼラン一行」と思った人は、正解。
マゼラン亡きあと艦隊の指揮を引き継いで世界一周を成し遂げたのは、フアン・セバスティアン・エルカーノ。
なおその様子、航海の記録を詳細に取り続けたのがアントニオ・ピガフェッタといいます。
なお出発時のマゼラン艦隊は5隻、人数は約270名でしたが、約3年の世界一周の航海で帰還したのはたったの18名でした。(航海期間:1519年-1522年)

そして実はもう一つ答えがあるんです。
それは「エンリケ(マラッカのエンリケ)」という人物です。
誰それ?って感じですよね。
エンリケはマラッカで生まれ(スマトラ説もあり)、マゼランがまだポルトガル艦隊にいた1511年のマラッカ攻略ののちに、奴隷としてマゼランに仕えることになります。
それから1519年の、マゼラン艦隊が西回りで世界一周に向かう際に同行。
そして1521年、マゼランが命を落としたあと、エンリケも記録からその姿を消します。
最後の記録によると、エンリケはマゼラン亡き後、その遺言により自由が約束されていました。
しかしマゼランの後継者となったバルボザがそれを反故にします。
マゼランだから忠誠を誓っていたエンリケは密かに怒りました。
そして自由を手にするため一計を案じ、バルボザたちを罠にかけ、消息を絶ちます。
ここからは憶測になるんですが、晴れて自由の身になったエンリケは、自分の故郷であるマラッカに帰っていったのではないかと。
もしそうであったのなら、記録には残ってないですが、エンリケが人類史上初の世界一周を果たした人物です。

エンリケの身になって考えてみます。
マラッカで捉えられ、はるか遠い西のポルトガル、スペインに送られ、さらに西に向かって航海を続けていたら、自分の母国語と同じマレー語をしゃべる人々に出会った!
捉えられてからおよそ10年、そのときエンリケが何を感じ、どう思ったのか、全く想像がつきません。

また世界一周で帰還できたのが270人中の18人なら、生存確率は約6%ですよね。
この数字は結果論ではありますが、未開の海への向かうのは、生きて帰れない可能性の方が高いことは誰が考えても明らかです。
そんな航海に船乗りたちを掻き立てたのは、地位か名誉か、それとも報酬、好奇心、探究心、一体何だったのか、こちらも想像がつきませんね。

現代に置き換えると、火星に行ってくるような感じですかね?
いや、火星はまだ目的地や距離がわかっているだけマシかも知れないですね。

マゼラン一行がフィリピンにやってきてちょうど500年。
当時の記録に少しだけ思いを馳せて、どっぷりとロマンに浸ってみました。

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